群馬 読売新聞 時の環・シネマから5 六合の風景 交流生む
群馬 読売新聞記事
時の環・シネマから 5
六合の風景交流生む

長野原から草津に抜ける国道292号沿いにある六合村役場。
一階に一枚の水彩画が飾られている。
山深い集落。崖下を縫うように走る道。一台の車。
暮坂峠から続く旧道に近く、戦前まで馬に積む荷物を付け替えた「荷付場」。
絵は、北九州市に住む西川幸夫(65)から贈られた。

一九八〇年。絵に描かれた風景は、映画「男はつらいよ・寅次郎ハイビスカスの花」で映し出された。
蝉時雨の中、寅次郎とマドンナ役のリリーが偶然再会し、軽妙なやりとりを交わすラストシーンの場所だ。
三年前、二〇〇二年の夏。西川は毛布を積んだワゴン車に寝泊りしながら、「男はつらいよ」のロケ地を巡って絵を描いていた。
この場所は、リリーのせりふにあった「草津」と、スクリーンに映った「上荷付場」というバス停を頼りに探していた。
場所を特定してくれたのが、手がかりを求めて立ち寄った村役場で対応した企画観光課の山本昭吉(
59)。西川と同じ寅さんファンで、映画を見て知っていた。
映画公開の翌年、「上荷付場」を通る草軽交通のバス路線は、利用者の減少に伴って廃止された。長年の風雨でバス停の屋根は破れ、寅次郎が座った丸イスも朽ち果てていた。
しかし、西川は、「映画の風景がそっくりそのまま残っている」と感激した。
二年前に村を再訪した際に、その感激を山本に改めて伝えた。胸を熱くしたのは、山本も同じだった。
「村の風景を見るためだけに、遠くから足を運んでくれて。本当にありがたかった。」村長と上司を呼んで、西川と役場の前で記念写真を撮った。
昨年の正月。西川から山本あてに、荷付場の水彩画と新年のあいさつ状が届いた。
「あの風景を大切にしてきた村の人たちに、絵を持ってもらうのが一番ふさわしいと思った」と西川。あの年、全国百八十か所の寅さんのロケ地を回ったが、絵を贈ったのは六合村と長野県の病院だけだ。
村の人口は千九百人余りで県内最小。過疎化が進む中、荷付場地区で育った中沢芳宏(32)は役場に就職し、村に残った。
わずか一分三十秒のラストシーン。豆粒ほどの大きさながら、中沢は家の前でボール遊びをする子供たちの一人として登場した。
「街には街の、村には村の良さがある。小さくても人と人のつながりが強い、落ち着いたこの村を、大事にしたい」
そんな思いを語る中沢たちを、水彩画は見守り続ける。(敬称略)

【写真・画】
1980年、松竹
六合村役場の山本昭吉さん
六合村の「荷付場」周辺が描かれた水彩画

男はつらいよトラ次郎ハイビスカスの花
監督・山田洋次、製作・松竹。渥美清、浅丘ルリ子らが出演。シリーズ第25作。リリー(浅丘)が沖縄で入院し、嫌いな飛行機に乗ってまでして、寅次郎(渥美)が駆けつける。ラストシーンについて、「沖縄の海とは対照的に山深く、しかもバス停か駅がある場所を首都圏で探したところ、たまたま、あそこになった」と山田監督。

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ぼっとう 人生に彩る  (スピナ ハロー季刊誌)
ぼっとう 人生に彩る

『線を活かした淡彩スケッチで、国内外の街並みを描く。生活感のある線にこだわり、風景の中にも”人の営み”を感じさせる。いずれ、人生の悲哀をモチーフにした「黄昏どき」を描きたいという。北九州生まれ」。

この文は平成9年に発行されました「北九州文学散歩カレンダー」の絵を担当しました西川幸夫さんのプロフィール紹介文です。

先日、ハロークラブ会員の西川さんが描いた「北九州名所七景」さえしえ入り葉書が郵便局から発行されると聞いて、買い求めましたがその素晴らしさと活躍ぶりを紹介しようと取材いたしました。
西川さんは、昭和十四年に地元北九州に生まれ育ち、新日本製鉄に勤め平成七年に退社して、好きな画業に専念するようになりました。これは前々から考えていたことで「年満してから自分の人生」と決め手いたから。誰にも束縛されず、楽しみながら自分でやっていきその中から少し買って頂くのが望みだそうです。

画風は「線で描く」のが特徴で淡い水彩で色づけされた淡彩画を主に描いています。もともと絵が好きでしたが、特にやろうと決意したのは三年半、君津に単身赴任したときに仲間三十人の同行者と始めた絵を描く会「白画会」に参加し、熱心な加藤忠一会長(現新日鉄参与・鉄鋼研究所長)と共に関東をくまなく回り描き続けた事が原点だったを語ってくれました。師をもたず美術書を先生に独学を通したことが、今の独特な淡彩画を作り上げたものと感じました。北九州へUターンしてから、君津時代に外から見て「もっと北九州を知ってもらいたい」と感じていたことと、北九州の風景に魅せられ名所や街並みを描き続けていましたが、意を共にする出版会社サンラインの誘いを受けて、外部スタッフとして活動をしています。北九州の作品では九十七年カレンダー「北九州文学散歩」、九十八年カレンダー「北九州ふるさとの橋」があり、絵はがきでは「北九州歴史の旅」と「長崎街道宿場町木屋瀬」があります。また、北九州市制三十五周年行事の一つである「北九州を元気にする100人」の一員として「人間博覧会」に参加しています。個人的には銀行やデパートで年二回、個展を開催しています。今は四月三十日迄西日本銀行相生町支店で開いております。

現在はフランスを中心にしたヨーロッパの街並みのスケッチに出掛ける用意に多忙の日を送っています。

更なるご活躍を祈念いたします。2967
寅さん全48作、180余か所のロケ地をすべて歩いた、平成の絵師・西川幸夫のすすめるたび景色18場面!! 小学館
寅さん全48作、180余か所のロケ地をすべて歩いた、
平成の絵師、西川幸夫のすすめる
旅景色18場面!!

とにかく執念の「追っかけ」です。寅さんの旅した場所を、日本はもちろんウィーンまで歩いた、歩いた、スタッフの方々さえも忘れてしまった「場所」も、氏は立ち所に答えてしまう。みなさんも「アレドコ?」と、きっと思われる場面を、氏のスケッチとお話で、お楽しみください。絶対アナタを懐かしい寅さんの会える場所へ、誘(いざな)ってくれることでしょう・・・・・・・

永遠のマドンナ、リリー(浅丘ルリ子)と初めて出会う網走橋のたもと

橋の上でレコードを売っていた寅さんと、永遠のマドンナ、リリーが始めて出会うのが、この網走橋。
橋のたもとに下りて船をながめながら、自分たちの境遇を”あぶく”にたとえて語り合う名シーンは忘れられない。撮影から三十三年経過していたが、橋近くの巨大なクレーンが目印として当時のまま残っていたのが幸運だった。(第11作「寅次郎忘れな草』

寅さんシリーズ最終作のファーストシーンが撮られた因美線の美作滝尾駅

岡山県の津山からヤ山里のくねくねとした登り道を抜けて、美作滝尾(みまさかたきお)駅についた。待合室の壁にはロケ時の写真が数点展示され、入り口近くに記念碑も立っていた。シリーズ最終作となったこの映画では、老人の駅員が駐在していたが、実際はキップの自販機もない無人駅。映画のシーン・・・・・・・以下みえない

寅さんとリリーが、山間のバス停で偶然再会する名場面のロケ地・六合村

名ラストシーンの場所がどうしても知りたくて、「草津に行く・・・」のリリーのセリフを唯一の手掛かりに軽井沢の観光課を訪ねた。持参のビデオを職員に見せると一人の女性が、一瞬映ったバス停に「上荷付場(かみにづけば)」の文字を発見。今は廃線になった草軽(くさかる)交通の路線で群馬県吾妻郡六合村とのこと。ついに感激のスケッチとなった。(第25作『寅次郎ハイビスカスの花』)
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新日本製鉄社報  -北九州の「今」を描き残したい−画集「北九州101景」を出版
八幡に思い出のある人にとっては馴染みの風景がいっぱい。
表紙は「呼野駅」、3000円(税込み)

北九州の「今」を描き残したいー
画集「北九州101景」を出版


北九州で画家として活躍しているOBの西川幸夫さん(元ー技開・TSセンター所属)が、ふるさと。北九州の自然や街並みを描いた画集「北九州101景」を出版した。

西川さんは富津・技開(RE)にいた頃、絵画同好会「白画会」に参加、退職してからは北九州に戻り「変貌する現在の北九州を描き残したい」と、周囲の応援も受け出版に至った。西川さんはこれまで、「淡彩画」で国内外の街並みを描き続け、カレンダー画、郵政局の官製はがき「北九州名所七景」、単行本の表紙や挿絵当、活躍の場は広範囲にわたっている。

今回の出版で西川さんは「101景を探すより、絞るほうが苦労しました。改めて、北九州の懐の深さを知るとともに、新たな発見もありました」と話す。

白画会」は平成2年に発足。RE設立時から所の文化活動を支え、今では春秋のスケッチ会と所内展覧会を中心に活動している。

(挿絵)
高炉記念公園
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スポーツニッポン北九州物語58,59(2002/7/9,10)
2002年(平成14年)7月9日(火曜日) スポーツニッポン 社会欄
北九州物語58

北九州を拠点に淡彩画を描き続ける西川幸夫さん(62)は、千葉県の君津市に4年ほど住んで、痛切に感じたことがある。そして、心に決めた。

「北九州は煤煙の街、住みにくい街だというイメージを持っている人が多い。いくら口で言っても分かってもらえないから、絵で北九州の美しさを知ってもらいたいと思って描いています」

そういえば、やはり北九州に籍を置く劇団・青春座の井生定巳代表が「北九州は暴力の街だと思われている。冗談じゃない、店にいこうぜ!ということになった」と、初めての東京公演のキッカケを語ったことがある。共通する北九州への思いが流れている。

西川さんは、北九州市にはそれぞれの区に山があり川がある。その川は海につながっている。豊かな地形の街。取材して北九州の美しさを再発見しました、と、画家の視点で北九州をとらえている。

その西川さんの創作活動のひとつの集大成が、去年6月に発行された画集「北九州101景」で、各地の美しい風景が独特の淡彩画で再現されている。

「ボクの絵は線での表現、線をいかに生かすかが生命です。普通は淡彩スケッチですが、ボクはスケッチ淡彩です」

生意気ながら感想を言わせてもらえば、西川さんの絵は線に色がとまっている、という感じがする。色は決して線にとらわれることなく、だから、枠に収まっていない。塗り絵とは違う、という表現が分かりやすいか。

「油絵をやったこともあります。油なら上から塗りなおしがききますが、ボクの絵はごまかしも修正もききません。一発勝負で、苦しいときもあります」

昨年発行した北九州101景は、半年ほどで描きあげた。何を描くかどう描くかの企画の段階がいちばん楽しくいちばん苦しい、と言う。

「アイデア、ストーリーがまとまってしまうと、絵は描きあがっていなくても、どんなものになるかは想像できます。だから、その時点で、次は何をやろうかと考えるんです」

芸術家は、みんな、こんなにセッカチで欲張りなんだろうか。北九州101景は、次に描く200景に向けて一歩踏み出しているんですよ、ということで101景なのだという。

「北九州の人間だから、北九州のものをどんどん描いていきたいと思います」という西川さんは、この夏から年末にかけて、ゴメンナサイ・・以下みえない




2002年(平成14年)7月10日(水曜日)
スポーツニッポン 社会欄
あなたの街シリーズ
北九州物語 59
八幡西区画家・西川幸夫さん

「ボクは旅が大好きです。いつも遊び優先で旅をします」

淡彩画か・西川幸夫さん(62)は、この夏、フーテンの寅さんになる。亡くなった渥美清さんの寅さんシリーズは全部で48作、全国の180ヵ所ロケを行っている。そのすべてのロケ地を巡る取材の旅に、奥さんの千代子さん(58)と、こんどの旅も、やはり絵につながる。寅さん48作の風景が絵になる。

「寅さんが旅した風景を、なつかしい街を描きに行きます。以前から描きたいと考えていたのですが、松竹と話がつながり、山田洋次監督も、面白いと言ってくれたそうです」

温めていた企画の実現に、表情が輝く。西川さんのたびには、どこに足が向いても千代子さんの姿がある。こんどの寅さんの旅は、車で40日間かけてのものになりそうだ。

「女房とは、しょっちゅうケンカをしますよ。だけど、いつも、狭い車で40日です、きっとケンカになるでしょうね」

ちょっとくらいケンカしても、美しい景色を見て、おいしいものを食べて、のんびり湯につかって、いい絵が描ければ、けっこうけだらけじゃありませんか。

西川さんが、自費出版でもと意気込んだ、男はつらいよスケッチ集「寅さんが旅した風景」は、今年いっぱいに原画が完成、来春の出版になりそうだという。

子供の頃から絵が好きだったが先生についたことはない、と絵との出会いを話す西川さんは、八幡や門司、小倉の4教室で60人ほどに淡彩画の手ほどきをしている。

「私はヘタですからとしり込みをする人がいますが、そんなに描いたわけでもないのに、ヘタもなにもありません。プロになるなら素質は必要でしょうが、アマチュアはいくら描くかの努力次第ですよ」

西川さんの、ボクは小学校の図画工作の成績は、ややよいでしたよ、に生徒さんもヤル気が沸こう。

この年になって、ある程度の余裕が生まれ、人生がますます楽しい。あしたがあるから、きょうが楽しい。まだまだ楽しんで、いい絵をどんどん残したいですね」

酒も大好き、いくら呑んでも大丈夫という酒豪は、行きつけのカウンターで、さらさらと似顔絵を描きあげて喜ばせるそうだ。お願いします、と二度迫ったが「酔ってないからダメですよ」と大いにテレた。・・・・
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まちの灯(あか)り (市政だより「きたきゅうしゅ」平成18年5月1日号)
まちの灯(あか)り

第57回
わがまちの魅力を彩りで表現

「北九州市といえば、黒煙が立ち上る鉄都、灰色の街・・・。多くの人が、決まって三十年〜四十年前の姿を思い浮かべるんですよ。」

十数年前、関東に住んでいたころだった。周囲の人が抱く北九州市のイメージの暗さを痛切に感じた。
「八幡で生まれ育った私にとってショックでした。わがまちの今を自分の絵で知ってもらいたいという気持ちが芽生えたのはこのころです。郷土愛なんて薄いと思っていたのに不思議なものですね。」

会社勤めの傍ら趣味で楽しんでいた絵だったが、会社を五十五歳で退職した後、淡彩画を本格的にはじめ、北九州市の風景を中心に描いてきた。

淡彩画は、ペンなどをスケッチした下絵に沿って薄く彩色する絵だ。デッサンが命といえる。油絵のように塗り重ねもきかない。

「風景を切り取る、という感じでしょうか。見たまま感じたままが表われる絵かもしれませんね。」淡彩画のスタイルは、北九州市の今をありのままに伝えたいという西川さんにぴったりのようだ。

ふるさとへのそんな思いを込めて描いた『北九州101景』は代表作となった。『北九州市の名所は百にとどまらない。二百への第一歩という意味を込めて『101景』にしたんですよ」と微笑む。

透明感ある色合いが評判を呼び、現在は、官製はがきや新聞に掲載する絵の依頼が舞い込む。他市を描くことも多くなったが、原点である思いを忘れることはない。昨年末、住んでいる穴生地区に恩返ししようと『わがまち穴生18景』を描いた。近々、長崎街道をたどり『北九州 歴史文学101景」に取り組む予定だ。

「いつも『ディスカバー(発見)北九州』がテーマ。私自身、描くたびに北九州市の美しさを見つけてきましたから。絵を見る人にも同じ発見をしてほしいんです。ふるさとへの思いを、これからも筆に託していく。


「わがまち穴生18景」の一景、瀬板の森公園とゴルフ場」、18景は、地区のまちづくり協議会などの手でカレンダーになった。

「自分は「回遊魚」かも。泳ぐ(描く)のをやめられそうにないから」と笑う。
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やはた西ふるさと新聞 2006/2/15号
2006年平成18年
第74号 2/14
年四回(春・夏・秋・冬配布)

編集・発行
発行責任者 小田敬介

去年末に「わがまち穴生18景」という一枚のカレンダーが発行されました。
それはとても綺麗な淡彩画で、穴生界隈18の風景で埋められたカレンダーでした。
穴生第二自治区会の山崎会長さんにお尋ねしたところ、穴生在住の西川幸夫さんの作品でした。このふるさと新聞でご紹介させて頂こうと重い、早速インタビューに駆けつけました。

A
とても綺麗な淡彩画ですね。多方面でご活躍だとお聞きしましたが・・

私が絵を専業としたのはまだ十年位です。それまで普通のサラリーマンでした。五十五歳で早期退職し、千葉県の赴任先から帰幡してからです。
絵はもともと子どもの頃から好きでしたが、これまでどこの派にも所属せず独学です。あえて私の絵の先生と言えば、専門書と国内外の巨匠の本でした。特に印象派の絵画を参考に勉強しました。

中でもゴッホに傾倒し、ついに三年前、私の主催する「四季彩」教室の生徒さんとフランスにスケッチ旅行に行きました。ゴッホの名画のその場所に立ち、大いに感激し存分に楽しみました。

B
独学なのですね。それにしてもこのタッチは見る人を引き付けますね。

師匠もいない独学の私がこれまで、まがりなりにも絵を専業としてやってこれたのは、まさにタイムリーな人との出会いでした。そして軽いタッチの画風がちょうど世相にマッチングしたラッキーな重なりでした。

更に言わせてもらえば、そのラッキーも、各派に属さなかったことが幸いしたと思っています。誰からも束縛されず、描きたいものを描き、いつでも発表できる、そんな身軽さが今の基礎をなしていると思っています。

C
北九州の風景画が多いみたいですね。何か他のテーマでお書きになられた絵などありますか?

私が主に”北九州の風景をモチーフにしているのは、単身赴任時代に芽生えたものです。県外の私の知人たちの北九州のイメージは、決まって三十年前の”黒煙もうもうの鉄都八幡”でした。それまで郷土愛の希薄な私が、「今の北九州」を描こうと決意したのもそんな理由からです。

退職してから一年後、地元の大手出版社から、北九州の風景をモチーフにした絵葉書やカレンダーの原画依頼のチャンスに恵まれました。その後、毎年その企画は継続され、北九州の風景と平行してヨーロッパまでモチーフは拡大されました。

たった一人きりでリュックサックに画材をつめ、毎年ヨーロッパの各地へ取材旅行に行きました。長いときは一回の取材日が九十日を越えることもありました。帰国後、その原画でデパートのギャラリーで個展を開き生計の糧にしました。

その頃から、熊本の郵政省から北九州をモチーフにした原画依頼がありました。官製はがき「北九州の風景」シリーズの始まりでした。有難いことに昨年の”飛梅国文祭”で九シリーズの原画を描かせてもらいました。

D
西川さんの才能が開花されたのですね。これまでの出版のご経験はありますか?これからの製作活動の展望などお聞かせ頂ければ・・・。

個人的な制作として、二〇〇〇年にスケッチ淡彩画集「北九州101景」、二〇〇二年に「寅さんが旅した風景」を出版しました。

現在は新聞掲載として、山口新聞に「長門101景」、ハワイのイースト・ウエストジャーナルに「ホノルル点描101景」を連載中です。六月に宮崎県延岡市を描いた「延岡やすらぎ101景」の出版が決定しております。

私のライフワークは国内外の「〜101景」の作品を数多く描き残すことです。これから取り組むものは、北九州関係では「続北九州101景」と「北九州 歴史文学101景」です。多分、秋頃からのスタートになると思っています。

市外のものは「遠賀四町101景」、すでの芦屋地区の取材を済ませました。国外のものは、「台湾旅情101景」、五月に打ち合わせに入ります。

これからも国内外、要請さえあればどこにでも行って描かせてもらいたいと思っています。新しい人との出会いや、その土地の文化に触れることは、絵かきにとって無上の喜びです。

E
旅を通してのご交流も多いのでしょうね。

制作活動の他に絵画教室があります。スケッチ淡彩教室「四季彩」と称し市内に八教室あります。第二週と第四週を教室に当てています。

生徒さんの平均年齢は六十五歳位、最高齢者は八十四歳の女性です。「楽しくゆっくり上達」とモットーに、生徒さんと楽しんでいます。毎年各教室合同発表会は門司レトロ地区の旧門司税関二階で開いており、今年は六回目となります。また隔年毎にヨーロッパに生徒さんとスケッチ旅行をしており、フランスと中欧ヨーロッパに行きました。

私の原点は「ふるさと北九州の風景」です。これから先、他国を描こうとも「わがふるさと」を描き続けようと思っています。

今回、わがまち「穴生18景」のカレンダーは、穴生に住んで二十数年、地元の皆さんへの恩返しのつもりで描かせてもらいました。

<インタビューを終えての感想>
お話を聞くにつれてご活躍の凄さに圧倒させられました。このように全国、いや海外まで活動の場を広げ精力的に淡彩画を描かれているとは存じ上げず、びっくりした次第です。是非これからも健康に留意され、ご活躍されることをお祈り致します。

挿絵
「わがまち穴生18景」カレンダーより
1.穴生祭り(?見神社)
2.瀬板の森公園とゴルフ場

3.北九州101景表紙
4.寅さんが旅した風景表紙
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J-COM北九州「すきっちゃ北九州、この人に聞くVol.13」
<<人生いつもこれから>>

淡彩画は、スケッチした下絵の線を活かし、透明感のあるあっさりとした色どりで彩色するのが特徴です。
わずか、2、30分という短時間ですばやく風景を切り取り、ひとつの作品を仕上げるという西川さんの作品からは、なにげない風景の中にも、どことない風景の中にも、どことない懐かしさと、さわやかな風を感じます。
今回は、北九州を拠点に活躍する淡彩画家、西川幸夫さんにお話を伺います。

生まれも育ちも北九州ということですが、北九州の印象は?

この街を「文化不毛の地」と思っている人は少なくありません。
しかし、実際は高名な文化人を多く輩出しているのです。」。
今、実際に、文化に関しての底辺はどんどん厚くなっているのを感じています。

再開発が進められている街並み同様、これからは文化面でもどんどんイメージが変わっていくことでしょう。

この街の風景の中でも、四季折々の皿倉山の風景が好きです。
私の生まれ育った故郷を象徴する風景として、とても心が安らぎます。

まだまだ北九州という街は、煤煙の街と思われている方が多く、私はそのイメージを変えたいと、2001年にしないの風景ばかりを収めた画集「北九州101景」を発行しました。この画集では、日進月歩の北九州の姿を描いています。ぜひ、県外の方にも見て頂きたいですね。

淡彩画を始めたきっかけは?
子供の頃から絵を描くのが好きだったのですが、サラリーマン時代の単身赴任中に、関東一円を描いたのが、今日の基礎となっています。
本格的に取り組み始めたのは退職後の55歳の時からです。
日本各地やヨーロッパなどへスケッチ旅行に出掛けると様々な出会いがあります。
文化が違っても言葉は通じなくても、心を通わせる術はいくらでもあるのです。
これからも、そんな一つ一つの出会いを大切にしていきたいと思います。

これからの抱負は?
画家グランドマア・モーゼスの言った「人生いつもこれから」という言葉をモットーにしています。
まだまだやりたいことは沢山あります。
北九州が起点とされる長崎街道をたどり、その視点からの101景をぜひとも描きたいですね。
北九州101景の続編も描きたいと思います。
私がこの街を描くことで、この街の今の姿を少しでも多くの人に見ていただくことができればと思います。

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