ホノルル点描
第 34 回 : 国立太平洋記念墓地の「パンチボウル」

画: 西川幸夫

 

 
マキキにある死火山「パンチボウル」は、今から七万五千年から十万年前の火山活動により形成されたカルデラだと言われてい
る。 その形がフルーツパンチなどを入れるボウルに似ていることからパンチボウルと名付けられた。
 
ハワイ語では、プウオワイナ(生けにえの丘)と呼ばれ、パンチボウルは、かつて生けにえを神に捧げたり、タブーを犯した者を処刑
する祭壇として使われたことに由来している。
 
一九四八年二月、米議会は、パンチボウルを米軍戦没者を追悼する国立墓地にすることを可決し、一九四九年一月より、グ
ァム、ウェーク島、日本の捕虜収容所などに埋葬されていた戦没者の遺骨がパンチボウルに埋葬された。
 
同年九月二日、パンチボウルは、第一次世界大戦、第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争で戦死した兵士、三万四
千人の「国立太平洋記念墓地」と して創建された。 墓地に最初に埋葬されたのは、英雄的な従軍記者のアーニィ・パイル氏
で、戦地の状況を克明にレポートし、その記事は広く読まれた。 彼は一九四五年、沖縄の西の伊江島で戦死し、彼の墓石(
墓石番号D一〇九) には、今でも多くのアメリカ人が敬意を表して訪れる。
 
第二次世界大戦中の一九四二年、日系二世だけの第100大隊と第442大隊が編成され、一九四四年にイタリア前線で戦っ
たが、パンチボウルには、この時戦った多くの日系兵士も埋葬されている。 日系兵士は、アメリカへの忠誠を示すために必死の
突撃を行い、第二次世界大戦中、米軍の中で最も戦果をあげ、多くの勲章を受けた。 一方、戦死者は六百十四人、負傷
者は四千五百人に及び、トルーマン大統領は、「敵に勝っただけでなく、偏見にも打ち勝った」と日系兵士の活躍を讃えた。
 
一九六六年、パンチボウルの正面には女王像が建立され、一九七六年には、国の歴史的建造物として指定された。 現在パ
ンチボウルには、軍人だけでな く、故スパーク松永上院議員、ハワイ初の宇宙飛行士の故エリソン鬼塚氏など、四万四千人
以上の魂が眠っている。
  
文:榊原 百合惠
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