ホノルル点描
第 32 回 : 今年鎮座百周年を迎える「ハワイ出雲大社」

画: 西川幸夫

 

 
ホノルル市内ダウンタウンのククイ通りとヌウアヌ川の角にあるハワイ出雲大社は、神道の一教派である出雲大社教の教派
神道の神社で、他の日系団体に類を見ない様々な経緯を経ている。
 
宮王勝良初代宮司は、一九〇六年に広島県からハワイに移住し、同年九月六日に、島根県の出雲大社からの援助を
一切受けずに仮社殿を造り、布教を始 めた。 一九三五年、勝良宮司没後は、子息の重丸宮司が二代目として後を継
 ぎ、出雲大社は、民衆の集会所としての役割も果たしていた。
 
第二次世界大戦中、危険人物とされる仏教僧、神道宮司、日本人ビジネスマ ンなどのブラックリストが内密に作られてお
り、勝良宮司の家族もこのリス トに載っていた。 日本軍による真珠湾攻撃の後、勝良初代宮司の妻と重丸二 代目宮司
夫妻は、サンドアイランドの収容所に強制収容され、後に本土の収容所に送られた。
 
宮司不在となった出雲大社は閉鎖せざるを得なかった。宮司や首席役員不在のまま、残りの役員たちは、出雲大社教団
を解散することを政府の役人から 強制され、教団資産をホノルル市郡政府に寄贈した。 終戦後、宮王宮司一家 は、本
土の収容所から、社殿も住宅も無くなったハワイに戻った。 一九四六年にヤング通りの倉庫を借り、その半分を一家五人
の住宅とし、残り半分に 仮社教を創設し、四十席の椅子を設けた。
 
一九五二年、教団役員は、ホノルル市郡政府に出雲大社の返還を嘆願し、市議会は満場一致で返還を決めたが、公
園娯楽局の元職員たちが返還阻止の訴訟を起こした。 一九五二年から一九六一年まで九年間、法廷闘争が続けられ
たが、ホノルル巡回裁判所は、教団資産を出雲大社に返還することを最終判決とした。 翌年より改修工事の募金活動を
始め、修復が完了した一九六八年まで続けられた。
 
当初の出雲大社は、現在よりリリハ寄りのパラマ再開発地区にあったが、現在の地所と一ドルで交換された。同年十二月
には、御神体をヤング通りの仮 社殿から現在地に移転した。 一九六九年の正月から初詣や七五三などの行事が行われ
ており、現在は、天野大也宮司がハワイ出雲大社の宗教行事を司っている。 今年は、鎮座百周年を迎え、十月七日に百
周年記念祭が盛大に行われる。
 
文:榊原 百合惠
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