ホノルル点描
第 11 回 : ピンクカラーの陸軍病院「トリプラー・ホスピタル」

画: 西川幸夫

 

 
ホノルル空港からワイキキに向かう通りから、山の中腹に鮮やかな ピンク色の大きな建物が見える。 これはアジア
太平洋地域で最も大 きな軍関連のトリプラー・ホスピタル(正式にはトリプラー・アー ミー・メディカル・センター)であ
る。 また、アメリカ合衆国にある唯一の国連平和活動施設で、平和維持活動に従事するアメリカ及び海外の軍関
係者の教育が行われている。
 
ハワイで最初の軍病院は一八九八年キングストリートに建てられた。 同年スペイン・アメリカ戦争が勃発し、フィリピ
ンで負傷したアメ リカ兵達が運ばれて病院はすぐに一杯になった。 しかもフィリピンから持ち込んだ腸チフスとマラリ
アが病院内に蔓延し、収容しきれ ない患者達は簡易施設やバラック小屋、果ては民家にまで転移させられた。
 
一九〇七年にフォートシャフターに設けられた医療施設は増えつづ ける需要に応えて増築を繰り返し、後に南北
戦争期にアメリカ軍医療へ貢献したチャールス・スチュワート・トリプラー准将の名をと ってトリプラー・ホスピタルと
称されるようになった。
 
トリプラー准将は十九世中頃、まだ原始的であった医療技術の向上に根気強く取り組んだ医師である。 その著書
「アメリカ軍医療士官の手引き」は当時の軍医療に携わる者たちの聖書であり、アメリカ軍医療史に残る教範であ
る。 彼の功績は今現在もトリプラー・ホスピタルの医療活動の基本理念を支えている。
第二次世界大戦中に病院の新設計画が持ち上がり、一九四八年、モアナルアリッジにトリプラー・ホスピタルが完
成した。 なぜこの病 院はピンク色に塗装されたのか。 アメリカ太平洋司令部は山の斜面に立つこの巨大な軍病院
が日本軍に発見・爆撃されることを恐れた。
 
日本軍はピンクの建物をまさか軍施設とは思わないだろう、という 憶測により司令部は建物をピンク色に塗るよう発
注した、と記録に ある。 その鮮やかなピンク色はすでにトリプラー・ホスピタルに定着してしまったので、戦後、色変
えはされていない。
 
文: 阿部道子
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